鹿島神宮 【練習巡洋艦 鹿島】

艦これ、艦内神社の分霊元を巡る旅、其の13です。
暖かくなってきましたので、艦内神社の分霊元を巡る旅の再開ですw
今回は、茨城県にある鹿島神宮に行ってまいりました。
鹿島神宮の分霊先艦艇は、その名の通り「練習巡洋艦 鹿島」です。
早朝家を出発する時は雨が降っていましたが、鹿島神宮に到着する頃には良いお天気にv

駐車場降りてすぐに楼門があります。
雨上がりの神社ってしっとりしていて雰囲気いいですね。
こちらの楼門は、日本三大楼門の一つらしいです。
ちなみに日本三大楼門は、熊本の「阿蘇神社」、茨城の「鹿島神宮」、福岡の「筥崎宮」です。

日曜日だったので、参拝者の方も沢山いました。
また、神前結婚式と高校生の遠足らしき団体様も入り、大賑わいです。

楼門をくぐると、広い境内。
神社の杜(鹿島神宮の森)は20万坪もあるようです。東京ドーム約13個分でしょうかw

こちらが拝殿。後ろに本殿があります。
20年ごとに造営が行われていましたが、現在の社殿は1619年、徳川秀忠により奉納されたようです。

拝殿で参拝後、境内を奥へと進み、楼門を振り返って見た所です。
雨上がりはやっぱり写真が映えますね。

参道はずっと奥まで続いてます。

そして、再び楼門を振り返ってみます。
なんと素敵な林道!
杜に生い茂るシイやカシ類は照葉樹林の北限としても貴重らしいです。

参道をしばらく歩くと、鹿がいたり、お土産屋さんがあったりして、奥宮があります。
1605年、徳川家康が本殿として奉納されたものを元和の造営の際に引き移したものと書いてありました。

さらに参道を奥へ進むと「要石」という霊石が祀ってあります。
鹿島神宮の大神が降臨した御座とも、地震を起こす大ナマズの頭を押さえている鎮石ともいわれ、徳川光圀の「水戸黄門仁徳録」には、家来に掘らせてみたがあまりにも巨大で、七日七夜掘っても掘りきれず、との記述があるらしいです。

そして、これがその要石!
え?
ちっさw
見えない部分が巨大という……。

要石から一度奥宮まで戻り、さらに参道を奥へと進むと、禊ぎの泉があります。
涌き水は持ち帰りOKなので、水筒かペットボトル持ってくればよかったです。

休憩所でお団子とお茶をいただきました。
こういう所で食べる団子は、なんでこんなに美味しいんでしょう。
戻るとき(奥宮の前)にもお店があって、そこでは大好物の「抹茶ぜんざい」がありましたが、団子をたくさん食べてしまったので諦めました。
ああ、抹茶ぜんざい食べたかったっす><

※写真は許可をもらっています。
そして、こちらが、宝物館内にある「軍艦 鹿島」の奉納品!!
初代鹿島級戦艦の一番艦「鹿島」であり、練習艦巡洋艦「鹿島」の写真ではないですが、ある意味、これが旅の目的です。
館内は撮影禁止ですが、この場所だけ撮影OKの許可をいただきました。

※写真は許可をもらっています。
明治39年8月9日 軍艦鹿島廻航委員長海軍大佐 伊知地李珍 海軍大尉大貫某ヲ代拝セシメ同艦ノ大寫眞額ヲ奉納ス
明治42年6月14日 軍艦鹿島へ御霊奉安ノ請アリ8月1日奉安
という記述があります。
練習巡洋艦鹿島と違って、煙突の形が明治っぽいです。
戦艦三笠っぽい。

※写真は許可をもらっています。
軍艦香取・軍艦鹿島絵葉書写し
1921年、3月3日からの皇太子殿下(後の昭和天皇)御渡航の「御召艦、香取と、随行艦、鹿島」としてヨーロッパを歴訪
と記述があります。
残念ながら(昭和時)練習巡洋艦、"鹿島"としての写真や記述はなかったですが、初代鹿島の歴史を見れて嬉しかったです。

恒例の御朱印。
鹿島神宮と奥宮の2種類いただきました。
美しい書です。

そして、今回、御朱印帳が一杯になりそうでしたので、新しく新調しました。
せっかくなので、ここ鹿島神宮の御朱印帳を現地にて購入。
右が今まで使っていた「榛名神社」の御朱印帳です。
左が鹿島神宮の御朱印帳。
実は、榛名神社の御朱印帳は一般的な御朱印帳よりちょっと小さめの大きさでしたが、ここ鹿島神宮の御朱印帳も榛名神社と同じ大きさです。
同じ大きさなので、二つ並べるとすっきりしていいですね。
デザインは鷹の刺繍、楼門の刺繍、相川七瀬デザインの3種類がありました。一番かこいいと思ったのが鷹でしたが、ここは榛名神社と雰囲気を合わせるために、楼門を選びました。
相川七瀬デザインというのもあります、よ?

御朱印帳の裏。
楼門デザインの裏には、神社名が入っているので、気に入りました。
御朱印帳が一冊一杯になったので、なんか自分の霊力が一気に上がったような気がします(`・ω・´)
さて、今回は茨城の鹿島神宮でしたが、実は同じ日にもう1社行っていますので、あとで纏めたらUPしたいと思います。
鹿島ときたら、次は……。
では、今回はここまでですv
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