関山神社【重巡洋艦 妙高】

艦これ、艦内神社の分霊元を巡る旅、其の6
新潟県にある「関山神社」に行って来ました。
分霊先艦艇は、重巡「妙高」です。
最近の神社巡りはずっと天気が悪かったのですが、今回はとても良い天気でした。
ではさっそく巡礼開始です。

まずは鳥居から。
比較的民家が多い中にある神社でしたので、地域に密着した温かみのある神社、という感じがします。

杉の木に囲まれた参道。
両脇には御手洗という池がありました。

天気が良く、新緑が輝いていてとても気持ちがいいです。
車で高速を使って約3時間半の道のり、頑張って来た甲斐がありました><b

木漏れ日がいい感じ。
もう少し経つと蝉が鳴き出してくると思うので、もっと雰囲気が出そうです。
夏の神社は大好き。

すぐに社殿が見えてきました。
この石段前では、毎年7月に「火祭り」が行われています。
仮山伏棒遣いの演武が見られるそうです。

社殿がある境内に上がると、提督ならば必ず最初に目に付くのがこちらです。
大きな砲弾1つと、小さい砲弾4つで作られた「軍艦妙高記念碑」
大きいのは20.3cmでしょうか、計ってみれば良かった。

碑に書かれている文字。
「帝国軍艦妙高ハ其守護神トシテ昭和五年十月十日當社ノ御神體ヲ分身奉祀セリ茲ニ之ヲ勒ス」
正しく、ここは妙高の艦内神社ですね。

さて、社殿に向かいます。
部分的に鉄骨で補強されていますが、昔のままの古い建築を保っています。

写真で見ると大きさが分かりにくいですが、意外と大きい。
正面上に龍の彫り物がありますが、その両端の木鼻に獏(バク)が掘られてて、神仏習合のような感じです。

立派な彫刻が施されています。
拝殿奥の中央上部に三体の写真が掲げられていますが、昔(江戸時代)のご本尊だそうです。

これが、ご本尊の写真。
「関山三社権現の本尊仏」
関山神社は江戸時代まで山三社権現社と呼ばれ、仏像を本尊としていたらしいです。
やっぱり神仏習合でしょうか。

参拝を済ませ、さっそく上へ。
※社殿は、上がることができます!

社殿には数々の額が奉納してありますが、まずはもちろん妙高さんを。
こちらの写真は現行型「海自」のみょうこうさんです。
あたりまえですが、昔の艦とはまったく姿形が違います。
艦橋に六角形の白い板状のものがあると思いますが、それが「位相配列レーダー」のアンテナで「イージス艦」である証です。
イージスの名前の由来である「盾」のようでかっこいいですよね。

続いて、提督さんならよくご存じの重巡「妙高」さんです。
やっぱり昔の艦は重厚でかっこいい!

元妙高乗組員であり、軍艦妙高会の会長さんからご挨拶とお礼の言葉が書かれた貴重な額がありました。
とても胸が締め付けられる内容です。
※クリックで拡大します。

佐世保市にある慰霊碑の写真がありました。

今回、残念ながら社務所が留守だったので、御朱印が頂けませんでした。
社殿内にあった「留守の場合の連絡先」に電話をしてみましたが、繋がりません。
神事や祭り以外は基本不在なのかもしれませんね。
画像検索してみましたが、関山神社の御朱印は見つからなかったので、自分も諦めることにします。
御朱印は必ずしも頂けるものとは限らないので、深く考えないことにw

御朱印は頂けませんでしたが、軍艦妙高会の会長さんの貴重な額も読めたし、なにより天気が良くて気持ちいい!
遠かったですが、来て良かったです。
明日、仕事・・・なんて考えたくない・・・orz

帰る途中、妙高市の標識前で記念撮影。

遠くに見える山が「妙高山」です。
今回は以上になります。
ほぼ記録写真と化していますが・・・、いや、記録写真でもいっか。
さて、次の巡礼先は・・・。
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