海防艦「志賀」のリベット
うわー、雪風ちゃんかわいい////
じゃなくて、最近知人からあるものを貰いました。
知人曰く、海防艦「志賀」のリベットらしい・・・。
(志賀と雪風はとくに関係ありませんw)
確かに自分、艦艇好きですが、"海防艦"までは手を伸ばしていませんです。
そんなわけで、色々調べて行ったら面白い出会いがありましたので、ご紹介します。

大きさ比較のため、雪風ちゃんと記念撮影。
ずっしり重いです。
過去にサルベージされた戦艦「陸奥」のリベットだと7~8万円くらいするらしいですが、こちらは金銭的価値はあまり無いようです。しかし、これが海防艦「志賀」に使われていたものだと思うと、金額ではない価値を感じることができます。
それでは、海防艦「志賀」について調べてみましょう。

※写真は志賀と同型艦、鵜来型「屋久」
1945年、鵜来(うくる)型海防艦「志賀」として佐世保で竣工しました。
海防艦とは、小型の護衛用艦艇のことで、駆逐艦より知名度は低いかもしれません。
(1937年以前は別な意味があったようです)
志賀は1945年竣工後、同年、"大和"の沖縄出撃に先立ち前路掃討を実施。豊後水道南部で敵潜水艦らしきものを捕捉し、爆雷投射により零式水上偵察機と共同して攻撃。また、沖縄特攻に赴く大和の護衛に当たった。とあります。
あの大和さんの前路掃討や護衛を行ったなんて、すごくないですか。
歴史を簡単まとめてみました。
1945年 竣工。
1946年 特別輸送艦に指定。
1947年 米陸軍連絡船として就航。
1949年 運輸省横須賀管船部保管船となる。
1950年 中央気象台定点観測船「志賀丸」として再就役。
1954年 3インチ砲1門・20ミリ機銃2基で再武装し、海上保安庁巡視船「こじま」と改名。
1965年 海上保安庁除籍。広島県呉港に繋留。
1965年 千葉市が海洋公民館として使用するため船内改装工事に着手。
1966年 千葉市海洋公民館として開館。周辺を「こじま公園」として整備。
1993年 建築基準法並びに消防法に適合しないことが判明し、公民館休館。
1998年 老朽化や保存コストを理由に千葉市が解体撤去。
どうです、この数奇な運命。
軍艦→特別輸送艦→連絡船→気象観測船→巡視船→公民館→解体
年代を見て分かるように、形は変われど1998年まで実在していたことに驚きです。
第二次大戦から今まで生き残った唯一の船で、最後の軍艦。
解体撤去時には多くの反対署名が集まったようですが、残念ながら強行されてしまったようです。
今年9月に千葉市稲毛海浜公園で「志賀」竣工70周年記念 ミニチュア観艦式というイベントが行われたようです。
公園の池で艦船のラジコンを浮かべるというイベントらしいですが、艦これのレーヤーさんや、こじま(志賀)の艤装を着けたレイヤーさん達も集まり楽しいイベントになったようです。

こちらが、海上保安庁巡視船「こじま」と改名した頃の"志賀"
随分近代化改修が行われているようですが、艦首などに志賀の面影があります。
ちなみに、現在の海上保安庁では3代目「こじま」が活躍しています。

さて、続きまして地元”那須”にある、あるモノを写した写真です。
近くを通る度に、道路脇に立っている大きなオブジェは何だろうとずっと思っていました。
今回、いただいたリベットを調べて行くうちに、これの正体が判明するとは・・・。
もうお分かりかと思いますが、志賀の舵らしいです。
ファミリーマートの看板が隣にあって、シュールな写真になりました。

ここは那須にある戦争博物館。
地元の方なら分かると思いますが、なんとなく入りづらい雰囲気があるので、近くにありながら一度も入ったことはありませんでしたが、今回は勇気を出して行ってみました。
怖い人がいたらどうしよう(吹雪ちゃん風にv)と思っていました(まあ冗談です)が、受付の方は親切で、管理者の方々もいい人ばかりでした。
博物館内は写真撮影全てOK!、受付の方に撮り放題ですよwと言われましたw

舵の脇に置いてあるどこかの部品。
どこでしょう。

そして、こちらが海防艦「志賀」の艦首です。
まさか、こんな近くにあったとは・・・。
リベットをいただかなかったら、出会うこともなかったと思います。


志賀の指揮台。
もはやどの部分なのか・・・。
後ろに見える黒いのは、志賀のものではないですが探照灯です。
さらに奥には、軍艦「春日」の錨もありました。
今回は「志賀」が目的だったので、ご紹介はここまでですが、館内にはとても貴重なものが沢山ありました。
山本五十六の直筆文書とか、零戦のエンジンはもちろん、一式陸攻や二式複座戦闘機「屑龍(とりゅう)」の部品、珍品としてロケットエンジン局地戦闘試作機「秋水(しゅうすい)」の燃料瓶なんてものまでありました。
なかなか面白かったので、改めてレポートしてみたいと思います。

このリベットが手元に来なかったら志賀のことも分からなかっただろうし、地元近くに部品が残っているなんてことも知らずにいたと思います。
なにより、大和と同任務に就いたことや、数奇な運命を辿った「志賀」のリベットだと思うと考え深いです。
宝物にしたいと思います。
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